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Atoms for Peaceを組んだ発端はあの見事なライブを始めた4年前でしたね。
Thom Yorke: The Eraserをライブで演るという試みのために生まれたんだよね。
Nigel Godrich: ThomがThe Eraserの1、2年後、出し抜けに僕を呼んで、それをライブで演るというアイディアに夢中になってると言ってきたんだよ、しかもラテン・パーカッションを試し、エレクトリックの要素をリアルなものにするというね。
TY: シーケンサーも何にも使わずにね。それを話して、僕は家に帰って仲間に加えたい人を探して、Joey [Waronker]、 君だろ [Nigel]、 Fleaとあとはパーカッション。JoeyとFleaにEメールを送ったら1時間以内に返事が返ってきた、本当にすぐに。で僕らはMauro [Refosco]と出会った。-
The Eraserのようなエレクトロニックに傾いたアルバムをライブで演奏するというのは常に手際を要することだったでしょう。そのような挑戦をしたいという要素がそこにはあったのですか?
TY: そこにあったのは…うーん、ライブに合う形式に転換するみたいなことは常にできるよ。思い描くそのままとはいかなくても、それはいつでもできる。僕のある部分では他の人たちと演りたいっていうのがあるし、他の部分ではビーツでやったらどうなるだろうっていう探究心もあったり-それは大きな部分を占めてる-最初のうちは僕もただ曲を手探りで感じていただけなんだよね。このひとつのアルバムを自分自身でやり終えて、Latitudeか何かでソロのライブを演ることになってさ(2009年)、Eraserをピアノで演るかベースで演るのか考え抜いて、それは可能だなということがわかったんだ。だからエレクトロニックvsライブっていう美学から始まったわけじゃなくて。でもみんなで集まるとすぐにそれ(シーケンスされたエレクトロニック・ミュージック)をライブで演奏できるようにするのはかなり衝撃的なことだったよ。アフロビートの成り立ちそのものでさ、そんな意図なんて全然なかったのに。
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AMOKにおいてはパーカッションの内どれくらいがフィジカルなものでどのくらいがエレクトロニックなものなのか聴き分けるのはかなり困難です。とてもパーカッシブなレコードでドラムは大抵がミックスの中で高い位置付けをされていますが、どれがどうなのか判別するのは難しいですよね。
TY: 僕らはドラムがどこで始まって終わるのか、どう合わさっていくのかあえてわかり辛くしたんだ、そうすることでライブ感の持つエネルギーを維持できる、それがエレクトロニックで作られたものであっても。だって僕らはただジャムとかをやってたわけじゃなくて、真意はそれがエレクトロニックで作られたものだっていう事実から来てるわけだから。
NG: それはJoeyやMauroと一緒に初めて演ったとき本当に明らかになったよね。The Eraserのリズムの中には本当に複雑なのがあるから、誰かがそれを楽器で表現してくれる機会を窺ってたんだ-他に類を見ないものだった。新曲の基礎は最初にAtoms for Peaceとしてライブをやったときで、そのとき僕らには演奏するものが足りないってわかったんだよね…
TY: 「何があるっけ?」「これで全部か!」みたいな感じ(笑)
NG: それがアルバムの始まりだったと言えるかな。でもそれをバンドに持っていってどう演奏するかを見なきゃならなかった、(演奏されることで)効果的なのもあれば、エレクトロニックのままの方がいいものもあったからね。そういう二つのものが同居してる二世帯住宅なんだよね-君が言うように、どれがどうなのか区別することはできないような。
TY: 僕らが最初に集まったとき僕に起こらなかった、なんか大きな可能性が大々的に放出されるみたいな感じでさ、でも新しいものを演奏することになって-新しいミュージシャンたちと、しかも僕が自分で書いたんじゃなくて2人共同で組み立てたものを、ね…良い勢いがバンド内にあった。かなり独特で、奇妙な場所に位置して、変わった行動をするっていう。大きなパンドラの箱を開けるみたいな感じだけど、それがどの方向に進むのか僕にはわからない。僕らはマシンで作られたこのイカれたリズムを持っている、そしてそれを維持できるミュージシャンがいる-問題ない-更に、それぞれがお互いを引き出すことができるんだよ。ちょっとすごいことだよね。
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値打ちのあるパンドラの箱を開けたということなら、それをどのように凝縮してアルバムに落とし込むのですか?AMOKは割と短くて、簡潔な感じのレコードですよね。
TY: うーん、これは何よりそのときの状況の、極めて最初の反応であって。僕らは3日に渡って延々とジャムをして、それが何かの形になったみたいな。それについて大げさに考えたりはしなかったんだよ、それはそう…いくらかのアイデアの宝石が集まってきた、それが一緒に時間を過ごす動機だった、作業をするっていうね。
NG: このアイデアが詰まったパンドラの箱という話は、目の前にたくさんのアイデアがあってそこから手にとって選ぶことができるっていうことを指すんだよ。僕らはパンドラの箱と言っているけど、それは楽しいものだったんだ。本当はチョコレートが詰まった箱と言った方がいいような。
お弁当箱とか?
NG: それでもいい。結局のところ、たくさんの可能性がある中で僕らは好みのものを受け入れるっていうことでね。で、それが本当に本当に楽しくて。それが根底にある。演奏するのが本当に楽しくて、しかもそれを維持できるミュージシャンがいるっていうのは本当に愉快なことなんだよね。
TY: 仕上げるのはちょっと大変だったけど-詞を書くのはね、相変わらず。
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ライブの素材を作るという意図を超えたのはいつ頃でしたか。そのときにはアルバムを作ることを意識していましたか?
NG: すぐにそれを悟ったんじゃないかな。ツアー最後の3日間のほとんどは新しいものに費やしてたし。
TY: そんで「じゃあまたな」って言って解散して、アルバムに落とし込んだ。
NG: その3日間で何が現れようとしてるのかそんなにわかってはいなかったけど、レコードを作ろうとしてるということは認識してた。可能性が潜んでいるのを目にして、それが変化する様を見た。過去を振り返るプロジェクト-(The Eraserの)素材を使って、解釈し直して、そしてまた演奏するっていうことだったわけだけど-新しいものを作るっていうことまで一緒にできたのはすばらしかったね。
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AMOKの曲のタイトルがThe Eraser ['Atoms for Peace']とRadioheadのHail to the Thief ['Judge, Jury and Executioner']双方から引用されているのを興味深いと思ったのですが。
TY: そうなの?
ええ、 ‘Myxomatosis’ の副題は ‘Judge, Jury and Executioner’ ですよね。
TY: (笑)そりゃ間違いだ。もう使ってたなんて忘れてた!僕の引き出しは狭いな。
ではわざとそうしたわけではなかったのですか?
TY: いや、純粋に忘れちゃってた。その、僕の歌詞のノートはぐちゃぐちゃだからさ。
Atoms for Peaceの歌詞を書くのはRadioheadのときと何か違いはありますか?
TY: わからない。それについては本当に考えたことがない。
NG: 立ち会ってる人間からすると、今回の歌詞を書くプロセスはより直感的だったと思うけどね。Radioheadにおいては方々を渡り歩いては時を経て展開していく傾向があって。すごく長いプロセスを経てる。今回はもう「今はこんな感じ。これでやろう」っていうのだったよね。
AMOKの歌声についての私の第一印象もそれに近いです。より自発的で、即興的な。Radioheadよりも捉えどころのないような感じがするんですけれど。
TY: おいおい、やられたな!
何が言いたいかというと、Radioheadにおいては‘There There’のような比較的落ち着いた曲でさえ-‘Paranoid Android’式の壮大で叙情的な曲でなくてもキャッチーな取っ掛かりがあるじゃないですか。AMOKでの歌声はよりスケッチ的な感じがするんです。目の前で、ほとんどリアルタイムにできたような。Actressの曲を彷彿とさせるんですよね、また違った方法で。
TY: それはこのプロジェクトの始まり方のせいじゃないかな。既にあったもので形成されて、ヴォーカルをよりリズムへ共鳴させるという意図があって、それが中心ではないっていう。ヴォーカルがビートに滑りこんでいってるとも既に言われたし。
エレクトロニックの中にかなり包み込まれていますよね。
TY: ああ、そうだね。巻き起こってる感情は曲の内部にあると思うんだけどな、表面というよりも。わかってもらえるかな?
NG: 僕はとても動的だと思ってる。違ったタイプの感情があって、違ったやり方で人を突き動かす音楽で。The Eraserと比較してみたって、とても近いものであるにもかかわらず、やっぱり曲が元になってて、今回のはよりリズムと結びついてる、それと反復、それらと動的に繋がってるんだ。違った手法なんだよ-やっぱり曲なんだけど、こういう類のリズムに曲を合わせるっていうのは…
TY: ほんと難しい。
NG: とってもパワフルなんだけどね、それができたときは。
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アルバムを作るプロジェクトになるとわかったとき、特定のゴールを見据えていましたか-エレクトロニックのリズムをミュージシャンが演奏するというアイデアから離れて-レコードへ向かうための。
TY: ちょっとした爆発だった、僕らはそれを捉えたかった。良い期間だったからね。個人的には、僕らは恵まれてると思った。でも僕は16の頃から同じバンドでずっとやってきて、そして今回のはかなり刺激的なことで-全然違う視点から来てることだったからね、美学を求めるような、でもそれはやっぱりミュージシャンと共に部屋の中で演奏するっていうことで、やっぱり僕の知ってることなんだけど。僕らは壁に開いた穴を目の前にしてて、それならもう行っちゃうしかないだろ、っていう感じだった。
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漠然とした質問ですが、AMOKにおいて、役割の内どれくらいがダンス・ミュージックになっているのでしょうか?トムは最近Boiler RoomやBenji BのRadio 1に出演し、巧みな演奏のレコードを回しました-動的なアイデアへ回帰させるものを、それはもっとも動的な形へと磨かれたダンス・ミュージックとかなりマッチするものですね。
TY: それは全部じゃないの?進められているすべてが-さっき言ったように箱だったんだよ、そしてこれはそれに対する最初の反応、だけど僕がもっと深めていきたい何かでもある…それをDJでやるとか、もっと分解するとかね。それから僕らが次にバンドで集まったとき、その席へもっと持っていきたい領域でもある。それを形作るのはベストな-ともあれ僕にとっては-ダンス・ミュージックの断片なんだよ、間違いなく。僕はそれ(ダンス・ミュージック)に対する盲目な信者じゃない、でも今の僕にとっていいと思えるものはそれなんだよね…起こってる中でいちばん興味を惹かれるのは。
それが進化して、プロジェクトがよりダンス・ミュージックと影響し合うようになる具体的な手段はあるんですか?
TY: おもしろいね…それは純粋な楽器(で演奏すること)に拘るかどうかによるんじゃないのかな。特に僕はラップトップに指図されながらステージに立つようなことは求めてない、だけどそれ以外なら受け入れられる-最初の頃Atoms for Peaceのライブをやる目的は(The Eraserの)機械から解放されることにあったからね。でもわかんないな…その二者間での対話なんだよね。僕らはその内側に位置してる感じがするっていうのが僕の把握してるすべてだな。
それは僕を夢中にさせたあるレコードを彷彿とさせてて、Charles MingusのTown Hall Concertってやつなんだけど。 とんでもない失敗作、っていうのも彼はライブ盤を作るように依頼されたんだけど、ビッグ・バンドものをやりたかった、それは作業場の実験の延長だったんだよ。彼はあまりいい状態でなくて、精神的にね、そして新しい譜面や思いつきを持ち込んで、そんなの出来っこないミュージシャンたちに延々と押し付けた。それを披露する日が来たけど、もう全然バラバラで。きっと与えられたアイデアはみんな彼らの限界を超えちゃってたんだろうね。
NG: それを期待してたらいいよ。
TY: 今のうちに楽しんでくれよ、僕の頭がおかしくなる前に。
NG: でもダンス・ミュージックについて訊かれたのは興味深いことだね。ポピュラー音楽で今いちばん活気のある分野だ。前向きで元気になるような-たとえ全部を好まないとしても。それは小宇宙を具えてるんだよ。これがエレクトロニックとアコーステックの相互作用においての違いでね、それにヴォーカルがある-とても貴重だよね。僕だってわくわくするよ、Thomの声のファンだからね。更に僕は今、完全にオリジナルのものでそれを聴くことができる-他にはめったにないっていう音と共にね。可能性は尽きない気がする。エレクトロニック・ミュージックの多くは死んでるみたいだね、歌声を失っちゃってるから。
TY: 僕からすると、何かを組み立てるときはいつも、ラップトップであろうとドラム・マシンでも何でも…常に頭の後ろで歌声が聴こえてるんだよね。ヴォーカルを思い描かずにダンス・ミュージックを最初から最後まで聴くのはほとんど無理なんだよ。僕は歌い手だからさ、そうなっちゃうんだ。Actressの曲を聴いたらヴォーカルが聞こえる-それは僕なんだ。
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私からするとAMOKは(Flying Lotusの) Until the Quiet Comesも少し彷彿とさせるんです-あのアルバムの中には辛うじて(ダンス・ミュージックの)パーカッションが存在する曲もありますが、やはりエレクトロニックかアコーステックなのか判断がつかないですよね。そしてAtomsのかなり初期の段階で彼と一緒にツアーを回ったことを思い出しました。
TY: うんまあ、僕らは彼のステージをよく観てたし、彼もそうだよ。たくさんのアイデアが飛び回ってたしね。
Atoms for Peaceで他のミュージシャンとコラボレーションするということはありますか?
NG: まあもちろんエレクトロニック・ミュージックではたくさんコラボレーションが行われてるけど、それはヴォーカルでだよね。近頃ではコラボレーションは自由に行われてて、とても良いことだけど、僕らにはもうThomがいるから、他に歌う人間を必要としないよね、例えばの話だけど。
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では最後の質問です-かなりわかりきったことですが、お二人がAtoms for Peaceに注力している間、Radioheadの状態はどうなっているのでしょう?
TY: うーん、(Radioheadは)休みに入ってる、有意義な時間を過ごせるのは本当にすばらしいことだよ、こういう終わりのないアイデアと、しかも盛りだくさんのね。彼にもどうぞ。
NG: 物事は循環するもので、新しいものに変わることや挑戦する機会をもつということは大事なことだと思う。動き続けて、新鮮な状態にしていかなくちゃ。Thomはずっとダンス・ミュージックに入れ込んでた、そして今、僕らはまったく違った方法へ切り替わる機会を手にしてるんだ。
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